大阪府医師会の東北大震災被災地医療支援参加報告

6.北区医師会の東日本大震災 JMAT活動のまとめ


4月1日〜4日 中村積方 県立大槌高校 救護所
4月30日〜5月4日 古林光一会長 弓道場 救護所
5月17日〜21日 安達一哉先生 弓道場 救護所
5月18日〜21日 木内俊一郎先生 小鎚神社 仮設診療所

 北区医師会は上記のようにJMATに参加した。JMATは5月末で終了した。活動に参加された先生がたの思いは同じである。そこで、筆者は6月17日から19日、再び大槌町を訪れた。その目的は今後、北区医師会が医師会としてできることを探ること、大槌町に残ることを決めた開業医の先生と大槌病院の先生を励ますこと、水没アルバムの再生作業の進行状況の確認、であった。

◎大槌町の風景〜6月の大槌町は瓦礫のまちから更地の町になっていた。瓦礫は港に高く積み上げられていた。漁業の町の港湾施設は復興の気配はなく、高い瓦礫の山であった。佐賀県警機動隊が住人の案内のもとに捜索活動を粘り強くおこなっていた。塩と油のむせる空気は改善している。

◎小鎚神社、大槌病院、仮設診療所〜周囲の火災からかろうじて免れた、ふれあいセンターに仮設診療所があり、訪問した。土曜日であったため、当直の先生しかおられず、院長先生にお会いできなかった。JMAT活動の府医ニュースと古林会長の親書を看護師さんに預けた。

◎大槌病院仮設病院〜ノルウェイ製仮設病院は大槌川を上っていくと、過去の津波浸水上限看板を超えた空き地に建設中であった。

◎弓道場、相撲場〜なぜか見慣れた避難場風景、避難生活2カ月も過ぎるのに元気そうな女性たち、相撲場には水洗いして干してある写真、10人ぐらいのひとが作業をしていた。

◎山あいの仮設住宅〜もともと過去の津波浸水地域しか土地のないところ、仮設住宅は不便な山あいにできていました。

◆復興に向けて…この何も無くなった町に大槌病院の仮設病院ができるのは意味があることです。なにかが出来てこなければいけない。浸水地域は今は更地。防波堤は破壊され、川の堤防もくずれて無防備なまち。JR山田線は鉄橋も線路も駅もない。町議会はどうして立ち上げるのでしょうか。

 支援活動で犠牲になられた方もあります。北区医師会は長く支援できるように、釜石医師会と友好医師会になる案に賛成します。

【写真帳】2011/6/18 被災地の様子(中村積方先生 活動報告:2回目)>>

(中村診療所 中村 積方)